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作文ワールドV 社会科作文 その1 |
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「社会科作文」−その2 作文ワールド(原点)
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| ○ はじめに 1.『鑑真記念館』(鹿児島県坊津町) − 宗晃くん (小6) 2.『北海道の旅』(「寝台特急・カシオペア」)− 貴晴くん (小5) 3.『祖谷のかずら橋』(徳島県) − 理咲ちゃん(小4) 4.『ヨセミテ国立公園』(アメリカ) − 誠ちゃん (小5) 5.『日本町アユタヤ』(タイ) − 太朗くん (小6) 6.『Saas Fee』@(スイス・アルプス) − 桜子さん (中2) 『Saas Fee』A |
○ はじめに
夏休みになると、生徒諸君はいろいろな所へ出かける。ただ、せっかくいい所に行っておきながら、作文の中味は総じて簡単である。400字詰めの用紙2枚程度に書きなれているせいかもしれない。
そこで、行った先の地理や歴史についてちょっとアドバイスをすると、みんなパンフレットを読み直したり、百科事典をひも解いたりし始める。そうして、なかなかの傑作が出来上がる。
こうして出来上がったものを当道場では「社会科作文」と呼んでいる。その原型は「作文ワールド」の「熊本」にある。かずやくんの作文も、初めは「夏休みに熊本へ行った。2日目に阿蘇山を見物し、4日目は熊本城に登った」という程度の簡単なものだった。それが、地図帳や百科事典などで調べて、あのようなものになった。ぼんやりしていた記憶が、鮮明な認識になったことであろう。
1.『鑑真記念館』(小6 西村宗晃)
宗晃くんは通信の受講生で、ファクスと郵便で答案のやり取りをしている。
| はじめの作文 | 添削例 |
| 鹿児島県坊津町という所に鑑真が上陸しました。それを博物館という形で展示したのがここです。ここは、テレビに出て指宿から近いから一度行ってみたいと思い、今年行ってきました。 枕崎市まで一時間で、そのとなりの町だから一時間と少しだろうと思っていましたが、実際は、リアス式海岸の海岸線に沿って道ができていて、くねくねと曲がりくねっていたため、二時間もかかってしまいました。その間おなかが空いたので、近くの公園でおにぎりを食べました。海面から垂直に五十メートルくらいのがけの上で食べました。海は一面のエメラルドグリーンで、すごくきれいでした。 そこから三十分くらいかかって、やっと鑑真記念館に着きました。 外観は、すごく大きな寺といった感じでしたが、一階は大きな倉庫でした。二階が記念館でした。 入ってみるとすごく小さくて、ぼくたちの教室と同じくらいしかありませんでした。見るものが、坐像とジオラマと年表だけでした。本物の坐像が来たことかあり、それは今、唐招提寺にあるそうです。本物の国宝が見られると思い来たのに、見られなくて少し残念でした。 坊津というところは昔、日本三津といわれ他の博多津、伊勢津(三重県津市)とならび栄えた港であったことを知りました。坊津の自然と歴史を知ることができて、有いぎな旅行だったと思いました。 |
← 鹿児島県に坊津という町があります。ここは、奈良時代の昔、鑑真が上陸した所です。それを記念して、この町には…… ← 指宿から枕崎まで ※「外観は、」を前の段落につなぐ。 ← 一階は大きな倉庫で、二階が…… ※ ジオラマには何が映っていたか。鑑真というのはどんな人物なのか、紹介してみよう。 ※「坊津の自然」のこともくわしく書いてみよう。 鑑真のことと合わせて4〜5枚くらいになると、すばらしい作文になるよ。 |
この作文は400字詰めの用紙で1枚半(600字)の分量である。「講評」には「鑑真のこととリアス式海岸の様子をくわしく書いてみよう」書き添えておいた。すると、これが5枚にふくらんで届いた。読みごたえがある。
| 書き直した作文 | |
| 鹿児島県に坊津という町があります。ここは奈良時代の昔、鑑真が上陸した所です。それを記念して、この町には記念館があります。それが以前、テレビに出たことがあり、祖父母の住む指宿から近いので一度行ってみたいと思い、今年行って来ました。 指宿から枕崎まで一時間で、その隣の町だから一時間と少しだろうと思っていましたが、実際はリアス式海岸の海岸線に沿って道ができていて、くねくねと曲がりくねっていたために二時間もかかってしまいました。リアス式海岸は、海岸線の入り組んだ地形で、谷が直接海に落ち込んだ「溺れ谷」が連続した地形です。もともと谷だったところに海水が入り込んでできるものです。そのため、目的地は見えているのに、走っても走っても車はそこに着きません。その間おなかが空いたので、途中の公園でおにぎりを食べました。海面から垂直に五十メートルくらいのがけの上で食べました。海は一面のエメラルドグリーンで、すごくきれいでした。水平線の向こうに島が見えました。火山島のようでした。後で地図を見たら、黒島という島だということがわかりました。 公園から三十分くらいかかって、やっと鑑真記念館に着きました。外観は大きな寺といった感じで、一階は大きな倉庫で、二階が記念館でした。入ってみると、思ったよりも小さくて、ぼくたちの教室と同じくらいしかありませんでした。見るものが、ジオラマと坐像と年表しかありませんでした。ジオラマは、鑑真が坊津に入港して来た様子を、動く模型で表してありました。坐像は、本物かと思いきや、説明文にレプリカと書いてありました。テレビでは国宝と紹介してあったのでおかしいなと思いました。係の人に聞くと、「二年前に鑑真入国千三百年を記念して、本物の坐像が来たことかある。」とのことでした。本物は、奈良の唐招提寺にあるそうです。本物の国宝が見られると思ってきたのに、見られなくて残念でした。しかし、ジオラマと年表のおかげで、鑑真について深く知ることができました。 鑑真は、奈良時代の帰化僧で、日本における律宗の開祖です。本来、仏教では、新たに僧になろうとする者は、戒律を遵守するという誓いを立てる儀式を行う必要があります。これを授戒といいます。授戒は、資格を持った十人以上の高僧(授戒師)の前で行わなければなりません。日本には、受戒師の資格を持った僧がいませんでした。しかも、奈良時代の日本には、僧になると税を免除される特権があったため、勝手に僧を名乗る者が続出しました。 この状態を憂いた舎人親王は栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)という二人の僧を唐に派遣しました。目的は、授戒師を十人連れてくることです。唐に着いた栄叡と普照は授戒師として日本に渡ってくる僧を募りますが、誰も応じてくれません。困った二人は、律宗で最も偉い人に相談すれば、誰か紹介してもらえるのではないかと考えました。そこで、当時、南山律宗の継承者であった鑑真に直接相談するこことしました。鑑真は弟子に問いかけましたが、誰も日本に行こうという者はいませんでした。そこで、鑑真は「誰も行かないのであれば、この私が行こう。」と言いました。結局、鑑真と同行の僧二十一人が日本に行くことになりました。 鑑真は何度も渡航しようとしますが、そのたびに役人に見つかったり、船が難破したりします。六度目の挑戦でようやく坊津にたどり着きましたが、その時は疲労により、両目を失明していました。 鑑真は坊津から奈良に入り、孝謙天皇の下で正式な授戒を行い、日本の仏教の制度を整えました。これ以降、日本では勝手に僧を名乗ることができなくなり、僧になるためには天皇の名の下で授戒を受けなければならなくなりました。このことは、僧になる権利を与える(つまり免税の権利を与える)のは天皇だけということになり、天皇の特権の独占(中央集権化)が進みました。 ぼくは、これまで鑑真というえらいお坊さんが日本に来て大きな寺を作ったとだけ覚えていましたが、鑑真が日本に来たことが、天皇の権力の強化につながったことを初めて知りました。 また、坊津というところは昔、日本三津と呼ばれ、他の筑前博多津(福岡市)、伊勢安濃津(三重県津市)と並び栄えた港であったことを知りました。他の二港は今でも栄えているのに、坊津だけがさびれています。日本の南端にあり、交通の便が悪いからだと思います。しかし、おかげで美しい自然が残りました。今回の旅行は、坊津の自然と歴史を知ることができて、大変有意義な旅行でした。 |
◎ 鑑真上陸の地や記念館、坊津の町については、こちらから。 |
リアス式海岸の説明では、学術的な認識もさることながら、「目的地は見えているのに、……」というのが、何ともうまい。実感がこちらにも伝わってくる。また、「ジオラマと年表のおかげで、鑑真について深く知ることができました」とあって、「鑑真は……」というつなぎも実にうまい。こちらも引き込まれて読んでしまう。
まことに「有意義な」作文である。
2.『北海道の旅』(小5 鈴木貴晴)
貴晴くんは「鉄道マニア」である。「電車オタク」といってもよい。首都圏の電車にはほとんど乗っている。そして、長期の休暇には新幹線や特急に乗って、あちこちに足を延ばしている。
| はじめの作文 | 添削例・諸注意 |
| 8月2日から8月5日まで北海道の旅をした。 国立駅から中央線で国分寺駅で中央特快東京行きに乗って新宿駅で降り、山手線外回りに乗って上野駅に降りた。 上野駅の13番乗り場で午後4時20分発の「カシオペア」札幌行きに乗った。 8月3日に札幌駅に着いた。みどりの窓口へ行って、指定席券を買った。「スーパーホワイトアロー」に乗って終点旭川駅で降りた。 富良野線富良野行きに乗って、美瑛駅で降りた。美瑛駅の2番線乗り場で「富良野・美瑛ノロッコ号」に乗った。ノロッコ号の景色は、美馬牛小学校、ラベンダー畑が見えた。午後1時52分に富良野駅に到着した。 タクシーで新富良野プリンスホテルへ行った。チェックインをした後、昼ねをした。昼ねをした後、プールへ行った。気持ちよかった。おなかがすいたので1階の中国レストランでかにチャーハンを食べた。夜の散歩は、新富良野プリンスホテルのとなりにある森の時計へ行った。客室のお風呂に入ってねた。 翌日、朝食にパンとか食べた。客室にもどって帰る準備をした。チェックアウトをして、タクシーに乗って、富良野駅へ行った。 富良野駅で富良野線に乗って終点旭川駅で降りた。旭川駅から「オホーツク号」に乗って、次の上川駅で降りた。上川駅を歩いてみた。また「オホーツク号」に乗って終点札幌駅で降りた。札幌駅のJRタワーへ行った。38階から景色を見た。テレビ塔などが見えた。 札幌駅から区間快速小樽行きに乗った。終点小樽駅で降りた。ホテルでチェックインをした。おなかがすいたので、3階のステーキ屋へ行った。次は、温泉へ行った。温泉へ行った後ねた。 翌日、小樽駅から各駅停車札幌行きに乗った。札幌駅から「スーパー北斗号」に乗って、終点函館駅で降りた。元町公園行きのバスに乗って、函館山で降りた。ロープウェイに乗って、函館山の景色を見た。ロープウェイで降り、元町でバスに乗った。函館駅から「スーパー北斗号」に乗って、南千歳駅で降り、「エアポート号」に乗って終点新千歳空港駅で降りた。 新千歳空港から「ピカチュウジャンボ」に乗って羽田空港第2ビルで降りた。 羽田空港第2ビル駅から東京モノレールで快速浜松町行きに乗って、終点浜松町駅で降りた。山手線に乗って東京駅で降り、中央線に乗って国立駅で降りた。 |
※ だれといったのかな。 ※「国立駅から」の段落のことはなくてもよい。 ※ 何時に着いたのかな。カシオペア号から見えた景色も書いてみよう。札幌から旭川へ行く途中の景色などもね。地平線は見えなかったかな。 ← ノロッコ号からは ※「森の時計」というのはおもしろそうだ。どんなところか、様子を書こう。 ※ 小樽では運河やレンガづくりの倉庫は見なかったかな。 ※ 室蘭を通って行ったのかな。 ※ 函館の町はどうだっただろうか。五稜郭へは行かなかったのかな。 ※ おしまいの段落のことは書かなくてもよい。「ピカチュウジャンボ」に乗ったところで終わるほうがよい。 |
これは「社会科作文」の特集をするきっかけとなった作文である。
「せっかくいい所へ行っておきながら……」というわけで、上記「添削例・諸注意」の「※」印にあるようなことを聞き出していった。そうすると、いろいろなこと、例えば小樽では、やはりレンガづくりの倉庫や運河を見ていたことが分かった。聞き出すにつれて、貴くんの目は輝いてくる。
各地での見聞を付け加えて書き直す。それをもとに、もう一度あれこれ話をして書き直す。下記の作文は二度目に書き直したものである。電車が好きな貴くんのことであるから、特急をベースにした作文ともなっている。それにしても、停車駅の名と発着時刻をよく覚えているのには驚かされる。
| 書き直した作文 | |
| 8月2日から5日まで、お母さんと北海道の旅をした。 上野駅の13番乗り場で午後4時20分発の「カシオペア」札幌行きに乗った。カシオペア号は豪華寝台特急列車で、オール2階建ての個室だ。ぼくたちの部屋は2階だったから、遠くまでよく見えた。右側に広がっているのは関東平野だ。列車は大宮、宇都宮に止まった。だんだん日が暮れてきた。遠くに灯がちらちらしていた。列車は郡山、仙台、一関、盛岡に止まって、八戸は通過して青森に着いた。そのころ、ぼくは眠っていた。青函トンネルには午前2時ごろに入り、3時40分ごろ北海道の函館を通ったが、ぼくは眠っていた。 函館本線の八雲のあたりで目が覚めた。右側に海が見えた。食堂は満員というアナウンスがあったので、朝食にはジュースを飲んだだけだった。外の天気は雨で、あまり景色が見られなかった。列車は長万部に止まって、ここから室蘭本線に入った。東室蘭、登別、苫小牧、南千歳に止まって、8月3日、午前9時40分に札幌駅に着いた。 みどりの窓口へ行って指定席券を買い「スーパーホワイトアロー」旭川行きに乗った。石狩平野を走ったから、田んぼの向こうに地平線が見えるはずだったが、曇で景色はあまり見えなかった。岩見沢、美唄、砂川、滝川、深川に止まって、11時20分に旭川に着いた。 11時半ごろ、富良野線富良野行きに乗って、美瑛駅で降りた。駅前のセブンイレブンに行っておでんを食べた。美瑛駅の2番線乗り場で、午後1時1分発の快速「富良野・美瑛ノロッコ号」に乗った。ノロッコ号からは美馬牛小学校の赤い屋根が見えた。ラベンダー畑も見えた。赤や黄色のじゅうたんを広げたように丘の上に延びていた。午後1時52分に富良野駅に到着した。タクシーで山の中を通って新富良野プリンスホテルへ行った。チェックインをした後、昼ねをした。 昼ねをした後、プールへ行った。気持ちよかった。おなかがすいたので、1階の中国レストランでカニチャーハンを食べた。夜の散歩で、ホテルのとなりにある「森の時計」へ行った。そこには、森の木で作った店が10軒ぐらい森の斜面に並んでいて、ふくろうの彫刻やガラスの置物があった。 翌日、朝食にパンを食べ、富良野の牛乳を飲んだ。いいにおいがして、おいしかった。部屋にもどって出発の準備をして、タクシーで富良野駅へ行った。 富良野駅で富良野線に乗って、ラベンダーの紫や黄色など、いろいろな景色を見ているうちに終点旭川駅に着いた。そこから「オホーツク号」に乗って、次の上川駅で降りた。駅前に大きな熊の彫り物があったが、霧が出てきて景色は見えなかった。また「オホーツク号」に乗って、田んぼと山の中を走って、終点札幌駅に着いた。。札幌駅のJRタワーへ行った。38階から札幌の街の景色を見た。道路は広く、南北にまっすぐに走っていた。テレビ塔などが見えた。 3時に札幌駅から区間快速小樽行きに乗った。右側は海で、左側は山だった。小樽のホテルでチェックインをした後、散歩に出た。小樽は明治32年に国際貿易港に指定され、北海道経済の中心だったそうだ。石で作られた銀行などの建物が100軒くらい残っていて、外国みたいだった。運河のわきに赤レンガの倉庫があって、ライトアップされていてきれいだった。 翌日、小樽駅から各駅停車で札幌にもどった。札幌駅から「スーパー北斗」函館行きに乗った。苫小牧、東室蘭を通った。左に太平洋、遠くに駒ケ岳を見ながら、函館駅に着いた。元町公園行きのバスに乗って、函館山のふもとで降りた。ロープウェイに乗って、函館山の頂上へ行ったが、霧がかかっていたため、景色が見えなかった。函館は、坂と協会が多かった。 函館駅にもどって、札幌行きの「スーパー北斗」に乗った。南千歳駅で降り「エアポート号」に乗って新千歳空港に行った。新千歳空港から7時25分発の「ピカチュウジャンボ」に乗って、羽田空港に向かった。 |
○ 「寝台特急カシオペア」 ホームページが移動していたら、ごめんなさい。 ○ 「美馬牛小学校」 これはきれいすぎるかな。 ○ 「小樽運河」 このホームページがいちばんよいか。 サイトがなくなっていたら、ごめんなさい。 |
貴くんは今も休日には電車で近郊に出かけている。
3.『祖谷のかずら橋』(小4 広瀬理咲)
祖谷(いや)は徳島県の最奥、吉野川の最上流部にある。秘境と言われる。
| はじめの作文 | 添削例・諸注意 |
| 8月22日から26日まで、四国へ行きました。 3日目に祖谷温泉に行きました。温泉に入る前に、かずら橋をわたりました。お母さんと、おじいちゃんとおばあちゃんは、へっぴりごしになっていました。私とお父さんは、すいすいわたってしまいました。 次に、吉野川(四国三郎)で遊びました。水はつめたくて、すごくきもちよかったです。私の足の上に小魚がたくさんきました。つかまえようとすると、にげてしまいました。 祖谷温泉に入るには、ケーブルカーに乗ってふもとまでおります。おふろには、たくさん虫がいて、そばにいたおねえさんが「この虫にさされるといたいですよ〜」といっていました。おふろのにおいは、いおうのにおいでした。自分のはだをさわると、ぬるぬるしていました。次の日の朝ろてんぶろに入りにケーブルカーに乗ってまた行きました。おふろに入って外をながめていると、頭がいたくなってしまいました。お母さんに見てもらうと、きのうのおねえさんが言っていた虫が頭に止まっていたので、あわててはらうと、頭から血がでてきたのです。たぶんその虫は、血をすう虫だったのでしょう。その虫はカではなくホタルの一まわり小さい虫でした。お母さんは「アブじゃないかな」と言っていました。私は、虫なんか大キライになりました。 次は、虫にさされないホテルにとまりたいです。 |
※ だれと行ったのかな。 ※ 「かずら橋」はどんなつくりになっていたかな。これをくわしく書いてみよう。 ※ 地図で見ると、かずら橋と祖谷温泉はかなり離れているようだ。バスに乗って移動していたのかな。 ← 祖谷温泉には露天風呂があります。これに入るには……川べりまで下ります。 ← お母さんに見てもらうと、虫が頭に止まっていると言って、はたきました。きのうのおねえさんが言っていた虫でした。 |
理咲ちゃんはどこをどう通ったか、あまり分からなかったようだが、吉野川には興味がある様子である。そこで、「かずら橋がかかっている川は吉野川の上流かもしれない。橋も800年くらい前の、平安時代の終わりごろに作られたものが、そのままの形で残っているというか、受け継がれているらしいよ」と話すと、目を輝かせた。
| 書き直した作文 | |
| 8月22日から26日まで、四国へ行きました。お父さんとお母さん、おじいちゃんとおばあちゃんの5人で行きました。 3日目に、レンタカーを借りて、祖谷温泉に行きました。その前に、かずら橋をわたりました。かずら橋はかずらという太いつるでできています。コンクリートや鉄は使われていません。長さは20メートルくらいあって、わたる時、足の下に川の流れが見えます。おじいちゃんとおばあちゃんとお母さんは、へっぴりごしになっていました。私とお父さんは、すいすいわたってしまいました。 わたった後、川に下りて遊びました。この川は吉野川(四国三郎)の上流にあたります。水は冷たくて、すごく気持ちよかったです。私の足の上に小魚がたくさんきました。つかまえようとすると、にげてしまいました。 車に乗って30分ぐらいすると、祖谷温泉に着きました。ここには露天風呂があります。その風呂に入るには、ケーブルカーに乗って谷底まで下ります。お風呂には、たくさん虫がいて、そばにいたおねえさんが「この虫にさされるといたいですよ〜」と言っていました。お風呂はいおうのにおいでいっぱいでした。はだをさすると、ぬるぬるしました。 次の日の朝、また露天風呂に入りにケーブルカーに乗って行きました。お風呂に入って外をながめていると、頭がつままれるようにいたくなりました。お母さんに見てもらうと、虫が頭に止まっていると言って、はたきました。きのうのおねえさんが言っていた虫でした。頭から血がでてきました。たぶんその虫は、血をすう虫だったのでしょう。その虫はカではなくホタルの一まわり小さい虫でした。お母さんは「アブじゃないかな」と言っていました。 私は、虫なんか大キライになりました。でも、風呂から見るけしきがとてもよかったので、露天風呂が好きになりました。 |
※ かずら橋の長さは、実際には45メートルらしいね。ついでに言うと、幅は1.5メートルで、水面からの高さは15メートルくらいだということだ。 ※ 最上流は祖谷川というらしいね。 ※ 祖谷川は道路から100〜200メートル下にあるということだから、ケーブルはかなり長いのだろうね。 |
たまには写真を入れたいと思うが、理咲ちゃんも持っていないので、インターネットで探してみることにしよう。ここなら、橋の様子が分かるだろうか。
http://www.city.tokushima.tokushima.jp/kankou/kennnai_kankouchi/syuuhen/iya/iya5.html
祖谷温泉のケーブルカーと露天風呂も探してみよう。想像するだけのほうがよかっただろうか。
http://www.iyaonsen.co.jp/roten.html
理咲ちゃんにはせめて、東京・武蔵野と徳島・祖谷渓との距離と位置関係をしっかりつかんでおいてほしいと思う。できれば、かずら橋の素材と歴史も。
4.『ヨセミテ国立公園』(小5 大熊誠一郎)
誠ちゃんはニューヨーク近郊で生まれ、6歳まで当地で過ごしたという。
ヨセミテはサンフランシスコの東方、カリフォルニアとネヴァダとの州境にある。
写真を撮ってきてある。スケールの大きな美しい写真もお目にかけよう。
| はじめの作文 | 添削例・諸注意 |
| 7月22日、ヨセミテ国立公園に行った。その前にお店で野菜や肉、おかしなどいろんな物を買った。車に乗っていると中に牛や畑がいっぱいあった。木も何もないさばくみたいな所もあった。5時間もかかったから2時間ぐらいはねた。 ヨセミテに近づくと、だんだん木がふえてきて、だんだん道が上がっていった。森の中に入ると長い木がいっぱいあった。森の中でしかを見た。熊も見たかったけど、出なかった。ゲストハウスに行って、カギをかりた。そこからあまり遠くない所に家はあった。家の中に入ると、いろんなボードゲームがおいてあった。テレビもあった。れいぞうこが大きかった。大きいベッドが2つ、ソファーベッドも2つ、ふろが2つ、トイレも2つと、だいどころもあった。テレビのチャンネルがすごく多かった。何を見ればよいのかわからないくらい多かった。その日はにもつを家に入れてテレビを見てごはんを食べてねた。 2日目は朝早く起きてハイキングに行った。今日のハイキングはたきは見ないけどでかい木を見る所だった。3時間コースだった。いっぱいでかい木があった。たおれている木もいっぱいあった。歩いているときに空を見たら、見たこともない青い空だった。すごいきれいだった。3時間コースは小さいミュージアムの所までだったけど、姉が「もうちょっと行こうよお」と言ったから、もうちょっとだけ行った。またもどってきて、さっき歩いたコースとはちがうコースに行った。さっき行ったコースはほとんどまっすぐだったけど、こんどのコースはぐねぐねだった。でかい木は二千年ぐらい生きている。今日はたくさん歩いてつかれた。 3日目は滝を見るハイキングだった。ほんとうは行きたくなかったけど、しかたがないから行った。川にそって歩いた。その道に人がいっぱいいた。その道は上に行ったり下がったりしていた。あまり急じゃないのにつかれる。きゅうけいする場所ですごいつかれた。ぼくは「すごいつかれたから、もう行かない」と言った。お母さんが「もし滝のちょうじょうまで行ったら何か買ってあげる」と言ったから、ぼくは「じゃ、行く」と言った。ぼくが一番つかれていたのに一番歩くのが早かった。歩いているとちゅうでしぶきがかかって気持ちよかった。ちょうじょうについて下を見たらすごかったし、きれいだった。水もすごいつめたかった。5分くらいそこにいた。帰るときにすべるかもしれないからこわかった。帰るときもぼくが一番早かった。 4日目はサイクリングをやった。滝を見に行った所にサイクリングする場所があった。いろんな所に行って、いろんなものを見た。ハーフドームを見た。馬も見た。4時間か3時間ぐらいやった。きのうもおとといもハイキングして今日サイクリングもしたから今日が一番つかれた。 5日目は、川でおよいだ。すごいつめたい水だった。川の中で目をあけたら目がぜんぜんいたくなかった。3時間か2時間くらいいた。ヨセミテはあしたで終わりだから、ちがう所に行く準備をした。ごはんを食べてねた。 6日目は朝早く起きて、ヨセミテを出た。ヨセミテはハイキングしたりしておもしろかった。 |
※ どこから出発したかを書いておこう。 ← 牧場や畑が ← 2時間ぐらいはねていた。 ← 荷物を家に入れて、テレビを見て、ごはんを食べて、ふろに入って、ねた。 ← 滝は見ないで、でかい木を見ることだった。 ※ この「でっかい木」のことを、どのくらい大きいかわかるように、くわしく書いてみよう。 ←※「もうちょっと歩いた」ことは省いてもよい。その代わり、空の青さのことをもっとくわしく書いてみよう。 ※ ロッジから歩いていったのかな。 ← すごくつかれた。 ← 滝の頂上 ← 歩くのが速かった。 ※ 何という滝なのだろう。有名なヨセミテフォールなのかな。 滝のそばまで行けたのなら、そのことを書いてみよう。 ※ 見たものをいくつか挙げて、その中でいちばんおもしろかったものをくわしく書いてみよう。 「ハーフドーム」って何だろう。馬は牧場のような所にいたのかな。 ※ プールのような川なのかな。 |
この旅は、お父さん、お母さん、お姉さん2人といっしょの家族旅行で、まずロサンゼルスに降りて、ヨセミテにはその数日後に出かけたということだ。
作文は2日分くらいずつ書いて、直したり書き足したりしながら、書き継いでいった。ひととおり書き終えるまでに1か月くらいかかっている。
写真は本文の右の欄から、どうぞ。
| 書き直した作文 | |
| 7月22日、ロサンゼルスからヨセミテ国立公園に行った。その前に、お店で野菜や肉、おかしなど、いろんな物を買った。車に乗っていると中、牧場に牛がいっぱいいた。畑もいっぱいあった。木も何もないさばくみたいな所もあった。5時間もかかった。2時間ぐらいはねていた。 ヨセミテに近づくと、だんだん木がふえてきて、だんだん道が上っていった。森の中でしかを見た。熊も見たかったけど、出なかった。ゲストハウスに行って、カギをかりた。そこからあまり遠くない所に家はあった。家の中に入ると、いろんなボードゲームがおいてあった。テレビもあった。れいぞうこが大きかった。大きいベッドが2つ、ソファーベッドも2つあった。ふろが2つ、トイレも2つと、だいどころもあった。テレビのチャンネルがすごく多かった。何を見ればよいのかわからないくらい多かった。 その日はにもつを家に入れて、テレビを見て、ごはんを食べて、ねた。 2日目は朝早く起きてハイキングに行った。今日のハイキングは、でかい木を見ることだった。3時間コースだった。でかい木がいっぱいあった。それはセコイアという木で、幹の回りで人が手をつなぐと、10人はかかりそうなぐらい太い。高さは90メートルぐらいあるということだ。2000年ぐらいたっているらしい。たおれている木もいっぱいあった。 歩いているときに空を見たら、見たこともない青い空だった。空のずっと遠くまで青いという感じだった。すごくきれいだった。 3日目は滝を見るハイキングだった。つかれていたので、ほんとうは行きたくなかったけど、一人でいるのは不安なので、しかたなくついて行った。バスに乗せてくれた。20分くらい乗った後、川にそって歩いた。その道には人がいっぱいいた。その道は上がったり下がったりしていた。あまり急ではないのにつかれる。休けいする場所ばたんと座った。ぼくは「すごいつかれたから、もう行かない」と言った。お母さんが「もし滝の頂上まで行ったら、何か買ってあげる」と言ったから、ぼくは「じゃ、行く」と言った。滝は休けい所から見えていた。ヴァ−ナルフォールというらしい。 ぼくが一番つかれていたのに、歩くのが一番速かった。歩いていると中、しぶきがかかって気持ちよかった。頂上に着いて下を見たら、たくさんの水がどっと落ちていてすごかったし、きれいだった。水にさわれる所があったので、行ってさわると、すごく冷たかった。5分くらいそこにいた。もどるとき、すべるかもしれなかったからこわかった。 帰るときもぼくが一番速かった。 4日目はサイクリングをすることになった。昨日と同じ場所にサイクリングする所があった。公園の中のサイクリングロードを通りながら、いろんな所に行って、いろんなものを見た。ハーフドームを見た。遠くからヨセミテフォールも見えた。川で足をつけて遊んだ。いい気持ちだった。お昼ごはんは、手作りのハムサンドウィッチを川べりで食べた。3時間か4時間ぐらい自転車でまわった。 きのうもおとといもハイキングして、サイクリングもしたから、今日が一番つかれた。 5日目は、ロッジの前の川で泳いだ。川で泳ぐのは初めてだ。石だらけで、つるつるすべってあぶなかった。大きな岩まで泳いでいって、岩からすべりだいのようにすべりながら川に入った。おもしろかったから、何回かすべったが、水があまりにも冷たかったから、ずっとは入っていられなかった。川の中で目をあけた。でも、目がぜんぜんいたくなかった。2時間か3時間くらい、そこで遊んだ。 ヨセミテはあしたで終わりだから、ちがう所に行く準備をした。ごはんを食べてねた。 6日目は、朝早く起きて、ヨセミテを出た。 ヨセミテは、ハイキングやサイクリングをして、とてもおもしろかった。また行きたい。 |
◎「でかい木」(ジャイアントセコイア)の写真はこちらへ。 ◎「ヴァ−ナルフォール」の写真はこちらへ。 ◎「ハーフドーム」の写真はこちらへ。 |
「つかれた、つかれた」と言いながらも、結局は楽しかったのだ。作文でも同様だったが、4日目、5日目のことをよく思い出して、いい話を書いた。書くのも楽しかったのだろう。
5.『日本町アユタヤ』(小6 堀江太朗)
| はじめの作文 | 添削例・諸注意 |
| 去年の夏家族でタイに行きました。おじいちゃんとおばあちゃんが、毎年夏と冬に行っているのでいっしょにつれていってもらいました。成田からひこう機に乗って行きました。ぼくがいちばん楽しみにしていたのは像に乗る事です。 バンコクについたのは、夕方で、そのままホテルに行きました。バンコクには、やたいがたくさんあっておいしい物もいっぱいありました。バンコクには、2日泊まってホアヒンという所へ行きそこでは、4泊しました。ホアヒンには、きれいな海がありそこの砂丘で馬に乗りました。 次の日アユタヤへ行って像に乗りました。 |
← 去年の夏、家族で ※ 全部で何人なのかな。 ※ タイまで何時間かかるのだろう。 ← 象に乗ることです。 ※ おいしいものを挙げてみよう。 ※ 馬に乗った感じはどうだったかな。 ※ 象に乗った感じは……。 |
アユタヤといえば、江戸時代に日本人町(日本町)があったことで知られる。太朗くんは歴史が好きで、織田信長が好きだということを聞いていたので、南蛮貿易との関係でそのことを話すと、興味が湧いたようである。
| 書き直した作文 | |
| 去年の夏、家族でタイに行きました。おじいちゃんとおばあちゃんが、毎年夏と冬に行っているので、いっしょにつれていってもらいました。父と母、弟と妹、ぼくと、全部で7人です。成田から飛行機に乗って8時間でバンコクに着きました。ぼくがいちばん楽しみにしていたのは、象に乗ることです。 バンコクに着いたのは夕方で、そのままホテルに行きました。バンコクには屋台がたくさんあって、もちごめとパイナップルがいっしょになっているものや、ラーメンのようなものなど、おいしいものがいっぱいありました。バンコクには2日泊まって、ホアヒンという所へ行き、そこでは4泊しました。ホアヒンにはきれいな海があり、そこの砂丘で馬に乗りました。馬に乗ったとき、馬が歩くにつれてこしがすれて、いたくなりました。 次の日アユタヤへ行きました。アユタヤに着いて、まず暑いと感じました。商店街にはフルーツがたくさんならんでいました。しばらくたって、象に乗りに行きました。象は8頭ぐらいいました。象の背中の上にいすが置いてあり、そこに乗りました。象はゆっくりゆっくり歩いて、まわりはとても広い草原でした。とても気持ちよかったです。 アユタヤには昔、江戸時代に日本町があったそうです。だから、アユタヤは日本とつながっていたんだなあと思いました。 日本町は、朱印船貿易の隆盛時に多数の日本人が東南アジア各地に渡航して定住し、日本風に生活できる町を作ったことによって形成されました。このような町はコーチシナ(ヴェトナム)、ルソン(フィリピン)、シャム(タイ)、カンボジアに散在し、ルソンのマニラ、シャムのアユタヤなどが有名でした。鎖国後、人員の補充も絶え、自然消滅しました。 日本町のことをもっと調べていると、山田長政という人のことが出ていました。長政は駿府(静岡県)に人で、1611年に朱印船でシャムに渡り、アユタヤの日本町の長となった人です。シャム王室の内紛解決に尽力し、リゴール地方の太守(長官)に任じられました。 山田長政が乗ってきた朱印船というのは、将軍の朱印状をもって海外渡航を許された船です。長政がアユタヤにいるとき、日本は鎖国をしたため日本に帰れなくなり、そのうちに、陰謀によって毒殺されたといわれます。 日本町について調べられてよかったです。 |
◎ 馬に乗っている写真等は、 こちらから、どうぞ。 |
かなり苦労している様子であったが、おしまいのひとことが救いである。
6.『Saas Fee』@(中2 桜子)
桜子さんは将来を嘱望されるスキーヤーである。雪の季節になると、合宿と大会への出場に明け暮れる。
この作文は、桜子さんが中1の時のアルプス滞在記である。題は「サース フェー」と読む。
| はじめの作文 | 添削例・諸注意 |
| きれいな花、たくさんの木、おいしい空気など、Saas Fee は、たくさんの自然があるスイスの中にある町の一つです。空港から車で4時間のとっても小さな町です。 私はその町へ、去年の夏、スキーの合宿で行きました。私たちがその町に着いたのは夜でした。そこでは、電気自動車しか乗ってはいけないというきまりがあると聞き、私は疑問に思いました。しかし、その疑問は次の日に解決しました。その日は時差ボケなどになっているのを治したり、両替したり、食べ物を買ったりなど、しなければならないことがたくさんあったので、スキーは滑りませんでした。私は、富山の一つ年上の友だちといっしょに町に行きました。すると、ほとんどが店やホテルで、しかも、全部のところでガーデニングをしていました。いろんな色の花がいっぱい咲いていました。町はずれの方へ行ってみると、サッカー場やテニスコート、バレーコート、バスケットコートがあり、辺り一面に広がる草原がありました。そこには牛がたくさんいました。その時、私は「豊かな自然を守るために、電気自動車にしか乗れないんだなあ」と思いました。サッカー場などでは、スキーのナショナルチームや、地元の人たちがスポーツを楽しんでいました。その後、私たちは両替をして、アイスを食べたり、スーパーで飲み物や食べ物を買ったり、洋服を見たりしました。合宿のメンバーは20人くらいで、全国各地から来ていました。私たちが泊まっているホテルは四ツ星ホテルでした。食事などもおいしくて、ラザニアは特においしかったです。私の部屋は富山の友だちと二人部屋でした。 その日の午後からは、みんなでランニングをしながら町を探険しました。山に行くと、大きな湖があり、水車が回っていました。所々にゴンドラがあり、全部ちがう山につながっていました。ホテルに戻ってみると、私たちが泊まっているホテルにも山へと続くゴンドラがありました。 それから、ご飯を食べて、ミーティングをしました。ミーティングでは、これからのことについて、日程などを話しました。その後、おふろに入りました。おふろから上がると、消灯まで時間があったので、友だちといろんな話をしました。それでも時間が余ったので、次の日のスキーのために早く寝ることにして、その日は寝ました。 |
※「ある」が重なる感じなので、「Saas Fee は、自然あふれるスイスの町の一つ」とでもしよう。 ※「私はその町へ……」の文を前の段落に送って「私たちがその町……」で改行。 ← 私は不思議に思いました。 ※ 疑問(不思議)の解決は、もっと後の、草原のところにもっていこう。 ← しかも、どの建物でも ※「合宿のメンバー……」以下の4文は第一段落へもっていく。 ← これからのこと、日程などについて話がありました。 |
合宿での行動を、いわば縦糸に、それに伴う風景を横糸に、とてもよい構成となっている。
| 書き直した作文 | |
| きれいな花、たくさんの木、おいしい空気など、Saas Fee は、自然あふれるスイスの町の一つです。空港から車で4時間のとっても小さな町です。私はその町へ、去年の夏、スキーの合宿で行きました。合宿のメンバーは20人くらいで、全国各地から来ていました。私たちが泊まっているホテルは四ツ星ホテルでした。私の部屋は富山の友だちと二人部屋でした。 私たちがその町に着いたのは夜でした。そこでは、電気自動車しか乗ってはいけないというきまりがあると聞き、私は不思議に思いました。その日は時差ボケなどになっているのを治したり、両替したり、食べ物を買ったりなど、しなければならないことがたくさんあったので、スキーは滑りませんでした。私は、富山の一つ年上の友だちといっしょに町に行きました。すると、ほとんどが店やホテルで、しかも、どの建物でもガーデニングをしていました。いろんな色の花がいっぱい咲いていました。町はずれの方へ行ってみると、サッカー場やテニスコート、バレーコート、バスケットコートがあり、辺り一面に広がる草原がありました。そこには牛がたくさんいました。その時、私は、電気自動車しか使わないわけが分かりました。豊かな自然を守るためなのです。サッカー場などでは、スキーのナショナルチームや、地元の人たちがスポーツを楽しんでいました。その後、私たちは両替をして、アイスを食べたり、スーパーで飲み物や食べ物を買ったり、洋服を見たりしました。 その日の午後からは、みんなでランニングをしながら町を探険しました。山に行くと、大きな湖があり、水車が回っていました。所々にゴンドラがあり、全部ちがう山につながっていました。ホテルに戻ってみると、そのホテルにも山へと続くゴンドラがありました。 それから、ご飯を食べて、ミーティングをしました。ミーティングでは、これからのこと、日程などについて話がありました。その後、おふろに入りました。おふろから上がると、消灯まで時間があったので、友だちといろんな話をしました。それでも時間が余ったので、次の日のスキーのために早く寝ることにして、その日は寝ました。 |
◎ サースフェーの町の風景はこちらで。 |
Aでは、いよいよスキーのトレーニングが始まる。それにつれて、景色も高度を上げる。
6−2.『Saas Fee』A
Saas Feeは、スキー好きにはよく知られた町であるようだ。
| はじめの作文 | 添削例・諸注意 |
| スキー場へ行くには、ゴンドラを二つ乗り継ぎ、それから登山電車でスキー場へ行く。 一つ目のゴンドラからは、町全体を見渡すことができる。とても美しい。 二つ目のゴンドラからは、カモシカの大群を見ることができる。私たちが行けそうもない所だ。下を見ると、見れないくらい怖い。 登山電車は、トンネルの中なので何も見えないが、スリルがあっておもしろい。 登山電車から降りるとすぐ、急な階段をのぼらなくてはならない。標高が高いため、少しのぼっただけで息が切れてしまう。しかし、階段をのぼり終えると、辺り一面雪世界なので、心がいやされ、私のスキーモードは全開になる。 スキー場は、着いた所よりも少し下にあるので、スキーをはいて滑って下りていく。スキー場までの道はアイスバーンで、くねくね曲がっているのでとても楽しい。しかし、途中にクレパスがあるので、注意しなければいけない。スキー場へ行く途中は、たくさんの山に囲まれているので山しか見えないが、とんがった山、丸い山など、いろいろな形をした山が見えるので、滑りながら楽しむこともできるのだ。 |
← ……登山電車に乗って行く。 ※ 第2〜4段落をひとまとめにする。 ※ 何が美しいのか。 ← 大群を見ることができた。 ← 行けそうもない険しい山の中だ(?)。 ← 足がすくんで、見ていられないくらい(?)怖い。 ※ どんなスリルか。 ← スキー場へ行く道は氷河の上で(?) |
この作文の前に、桜子さんは「山」という題で、下山トレーニングのことを書いている。それによると、近くの山に登ると、アルプスの雄峰・マッターホルン(4478m)が迫るように見えたということだ。
なお、@が敬体で書かれているのに対し、Aは常体で書かれている。本来、文末表現は統一すべきであるが、それは一編にまとめる折にどちらかに統一することにして、ここでは常体のまま掲載することにする。
| 書き直した作文 | |
| スキー場へ行くには、ゴンドラを二つ乗り継ぎ、それから登山電車に乗って行く。 一つ目のゴンドラからは、町全体を見渡すことができる。私が泊まっているホテルも見える。町並みがとても美しい。二つ目のゴンドラからは、カモシカの大群を見ることができた。私たちが行けそうもない険しい山の中だ。下を見ると、足がすくんで見ていられないくらい怖い。登山電車は、トンネルの中なので何も見えないが、事故が起こりはしないかと、スリルがあっておもしろい。 登山電車から降りるとすぐ、急な階段をのぼらなくてはならない。標高が高いため、少しのぼっただけで息が切れてしまう。しかし、階段をのぼり終えると、辺り一面雪世界なので、心がいやされる。私のスキーモードは全開になる。 スキー場は、着いた所よりも少し下にあるので、スキーをはいて滑って下りていく。スキー場までの道はアイスバーンで、くねくね曲がっているのでとても楽しい。しかし、途中にクレパスがあるので、注意しなければいけない。スキー場へ行く途中は、氷河の道の上を滑っていく。たくさんの山に囲まれているので山しか見えないが、とんがった山、丸い山など、いろいろな形をした山が見えるので、滑りながら楽しむこともできる。 |
※ スリルのもとは、やはりこれであったか。しかし、まあ、無事でよかった。 ◎ サースフェーの町やマッターホルンの雄姿についてはこちらから。 |
本編はまだ続くはずで、アルプスの自然を描くことになっているのだが、本人はスキーの合宿や大会への出場のほか、学校行事で活躍しているため、なかなか手がつけられないでいる。
号外(臨時ニュース)< 秋田県中学スキー大会で2冠 >
続いて、東北大会では大回転で優勝、全国大会では大回転で2位となる。
「道場日記抄」1月22日号('06)でどうぞ!
